T氏レポート

(ここからは完全に分かる人にしか分からない内容になります。事情が分からない人はさっぱり意味が分からないかもしれませんが、笑うことはできるかもしれませんので、あしからず)
も下で某氏からせっつかれていますが、昨日偉大なるT氏と相まみえて参りました。幸いなことに基本的にT氏は変わっていませんでした。(若干やせた気はしますが、そんなものはT氏にとっては些細なことでしかありません)そして相変わらすありがたいお言葉をいくつも残してくださいましたので、ここで紹介したいと思います。

「錦を飾れるようになるまでは、金沢には帰れねえんだ」

T氏はちょうど一年前まで金沢で研究活動に邁進されていたのですが、様々な事情があって、帰郷なされました。そして、私が遊びに来てくださいよと言ったところ、この言葉が返って参りました。(ちなみにT氏にとっての錦とは「就職」だそうです。)
この言葉はT氏の名言の一つである、「これを終わらせるまで前に進めねえんだ」の応用型だと判断することが出来るでしょう。

「落ち着き先が決まったら、また研究を始めるつもりなんだ」

そうなんです。なんとT氏はまだ研究をあきらめていなかったのです!浅はかな私はてっきり研究をあきらめて帰郷したのだと思っていたのですが、思慮の足りなさを感じ入るばかりです…。
ただし、

「やっぱり修論は直さなきゃダメかなあ」

おいおい、研究やり直すんとちゃうんかい…。やはりT氏にとって、修論は大きなトラウマになっているようです。先に二つの言葉との落差の大きさにT氏の深淵を見ることが出来るでしょう。

「俺にとって金沢時代はガムやスルメみてえなもんだ。」

補足しますと、今になっていろいろ分かってきたとT氏は言いたかったようです。ガムとスルメって、真逆の言葉を自然に選択するあたりに、T氏の若干の天然ぶりがうかがえますね。

「俺が逃げなかったのは、最後に意地と義理があったからだ」

これは、T氏が修論執筆中に何度も挫けそうになりながらも、なんとか戦い抜いた日々を振り返っての一言です。これを補足する形として、金沢時代に、T氏とその師であるF先生とのやりとりを紹介します。

F先生「おいT、論文ってのはなあ、喧嘩なんだ。お前喧嘩に負けるわけにはいかないだろう。」
T氏「はい!!喧嘩で絶対負けるわけにいかないっす!!!」

というやりとりがあったそうです。喧嘩で負けるわけにいかないという意地と先生への義理によって、なんとか苦しい戦いを乗り越えたT氏の姿を思い出すと涙を流さずにはいられません。
そんなT氏が、高校生へメッセージを残してくださいました。
それは、

「一番大切なことは地道に生きることだ」

だそうです。